湯浅(ゆあさ)は和歌山県有田郡湯浅町の市街地の名称。
醤油発祥の地である湯浅町市街地の北町、濱町、中町、鍛冶町、道町、
大宮通は、「湯浅町湯浅」の名称、
「醸造町」の種別で国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
この東西約400m、南北約280mの区域には醤油・味噌醸造業関係の町家や蔵など現役の古建築が多く残る。醤油味噌の醸造が昔ながらの手作りの製法で続けられているため近代的な工場は湯浅に存在せず、また商業的に観光地化されていないため、町全体が前時代の雰囲気を色濃く残している。
確かにこの雰囲気は観光客がいっぱい来るところでは醸しだせないですね。
これからもこの雰囲気を守っていって欲しいですね。
でも和歌山に行ったら絶対ここに行きたい。ってか歩きたい。

崇神天皇六十五年に熊野連〔くまののむらじ・又くまののあたえ〕大斎原(旧社)において、大きな櫟(いちい)の木に三体の月が降りてきたのを不思議に思い「天高くにあるはずの月がどうしてこの様な低いところに降りてこられたのですか」と尋ねましたところその真ん中にある月が答えて曰く、
「我は證誠大権現(家都美御子大神=素戔嗚大神)であり両側の月は両所権現(熊野夫須美大神・速玉之男大神)である。社殿を創って齋き祀れ」
との神勅がくだされ、社殿が造営されたのが始まりとする降臨神話となっております。当地は神話の御代より熊野の国となっており、大化の改新(西暦六四五年)まで続きました。連(むらじ)とは大和朝廷時代に、主として神別(しんべつ)の諸氏が称した姓(かばね)で、臣(おみ)と並ぶ有力豪族が多い。神別諸氏とは天神地祇の子孫と称する氏のこと。
歴代の法皇や上皇たちが熊野詣をしたのはこの地で神のご神託を聞くためでもあった。熊野速玉大社、熊野那智大社とこの大社をめぐってはじめて、熊野詣の成就となる。